通勤時間はネタの宝庫
横浜駅から乗り換えのときに、
改札手前で
学生、社会人、駅員二人がいた。
どうやら急いでいた社会人が、
学生に対し、何らかの行動をとり、
学生が謝罪を要求したようだ。
私が通りかかった時、
社会人サイドが
謝罪したけど、どういう謝罪ならいいんですか?と怒りまくっていた。
学生はスマホ片手にめんどくさそう。
駅員困惑。
社会人サイドは時間がないのだろう、
学生はすぐにsnsにあげるのだろう。
社会人は、生活に支障がでているから、
自分に余裕がなく、
周りを見る余裕がないのだろう、
いい年した大人が、大人気ない。
生活を見直すことをすすめたい、
そんなことしたら火に油注がそうなものですね
一方学生に関しては、
自分の行動がどうなるか?なんて予想していなさそうで、興味もなさげ。
目だけは怒っていた。
結果はどうなったのやら?
さて、若者に限らず現代人の問題は、
公共スペースを自己空間の様に扱う人が増えた。
そして、空間を共有している認識が欠損している。
つまりは、自分の行動範囲は縄張りだから、
好き勝手やっていいと認識している人が増えた。
なんか原始的やな( ´_ゝ`)
実際のところ、
現代人の脳は原始化しつつある、
それは、脳を使わなくなったから。
さらに言うなら、
脳が動作しない環境になってきているから。
ここ数年の脳活本を読んで思うのは、
前提条件が整っていない人が読んで、実行したところでうまくいくわけがない。
つまり、腸内環境が整っていないのに
薬やサプリメントで対処する人、
吸収力がないまま無駄な時間とお金などリスクを伴うだけになる。
何をするにしろ、自分の現在の状況を把握できなければ、運頼みにならざるをえない。
さて話戻して、
老若男女に言えることは、各々の生活時間や生活環境にズレがあるから、摩擦が起きる。
そして、人の性質上、
自分が相手を理解するより、
相手が自分を理解しろと強く願っている。
特に女性はその願望が強い。
更に日本独特の空気を読むという機能が
さらなる摩擦を生むシステムになっている。
めんどうな島国やね( ´_ゝ`)
こんな事書いているから、読書時間が減る私( ゚д゚)