なぜ家事を仕事として捉えるのか?
あついとろけかけのマックです。
なんだか10年くらい前から家事は仕事です!って主張が強くなった。
原因は海外の家事を労働価値に換算したのが原因だろう。
これを書こうと思ったのは、
youtuberで、ミニマリストの人の欄で、
ルーティンのところに、仕事の家事ってのが気になったもんで。
とはいえ、もともと家政婦やベビーシッターを使う社会と、
それらを使っていない社会とを混同したのがカオスの始まりなような。
文化の違う国のいいところを取り入れる為には、
翻訳と似たようなもんで、自国らしく再形成する必要がある。
ただ、ネット社会になって、訳者がバラバラになった、、
むしろ訳さず丸のみするタイプが増えた。
それは文化の衝突を生んだ。。
文化の衝突で起きる事は、
たいてい古い文化のいいもわるいも破壊する事になる。
ここで一言
「温故知新」という言葉がある。
そして、「アイデアとは既存の組み合わせである」とも言える。
つまり、過去から紡がれた経験や知識を捨てて、
新しい方へより快適な生活を目指していると思いきや。
社会や文化をひずみを作り、より複雑化していっているだけなのです(´・ω・`)
なので、ヨガとかミニマリスト、シンプリストってのは、
原点回帰みたいなもんです。
そこで家事を仕事とするならば、
仕事休みとれなくね?
家に家政婦がいたとしてもだ。
そこまでして自分がんばってますアピールするより、
受け入れて、その中で取れだけ自分の自由を取り戻すかを考える方がいいのではないかな?
SNSでそれらで共感とかを求めるよりも、
自分改善に取り組めないのは、
結局言い訳しているだけに過ぎない。
なので言い訳をやめよう、
そして、家事といっても減らせるもんはどんどん減らそう。
なので、実は家事が面倒と感じる人の多くは、
中身を知らずに詰め込んだ不思議箱を所持しているのかもしれない。
わからないから面倒になる。
一度立ち止まり、箱の中身を出して、
いるいらないを整理整頓していけば、
おのずと道は開けるんじゃないかと思う。
そして家事を仕事とするならば、
一生自分という会社の社畜ではないのかと思うよ。
経営者さんが何もしなけりゃ何も変わらない。