頭の整理と思った事。

善悪とかの感情はなしに思った事。

死生観。

|ω・`)ノ ヤァ、マックです。

今朝のツイートはこちら。

 

ってな感じに書きました。

昨日、人んちを掃除してたら鬼滅の刃の漫画があって、

なぜか園児界隈に広まった鬼滅ブーム。

 

お宅訪問するとたいてい本かグッズがあり、

相談されるのは、

「人を殺したり、殺されたりの描写は子供には早くないですか?」

 

結論は、「はやくないです。」

それを説明するには、こちら

ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある (単行本)

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  • 作者:西野 亮廣
  • 発売日: 2020/12/18
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 西野さんの新刊の一文にもあるように。

 

子供を子供と扱うのは辞めた方がいいって事です。

 

自分の場合は、

子供をからかうときは子供扱いしますが、

それ以外の時は、いち個人として接しております。

それは0歳児からです。

 

それはなぜか?

大人の人達が自分が子供だった頃の事を忘れてしまっているか、

それが当たり前だと認識しているので、

気付かずに親や自分の周りの人達がやっていた事を繰り返すわけです。

そうやって、つまらない無難な人達が生まれるわけですが。

 

そんなつまらん上に、今はスマホで思考停止した人達が、

民主主義の大多数なので、この国は変わらないわけですけど( ゚ ρ ゚ )

 

という事で、

死生観について語ろう!

僕の場合は、7,8歳のくらいに仮死してるので、

記憶にないけど幼少期に溺れるなどもしているので、

複数回死にかけた経験から、

死について一時めちゃくちゃ考えました。

小学校低学年の頭でですが。

 

そこから今の自分の基盤の、

「後悔しない、いつ死んでもいいように生きよう!」

って、感じになりました。

 

そこらへんから義務教育に疑問を感じるようになりました。

図書委員やるくらい、本が好きだったけど、

国語の授業で答えは一つという疑問から始まり、

歴史はなぜ古代人が全員正論しか述べていない前提なのか?とか

算数はなぜ1+1のように都合のいい設計なのか?とか

体育では能力の向き不向きがあるのに全員同じ事を無理やりやらされるのか?

 

それと、一定数の人は集まりグループを作る事も

なんで?って思いました。

高校時代にはフリーになり、

各グループにふわふわ入り込む感じでしたね( ゚ ρ ゚ )

 

コンセプトはクラゲですね。

ぷかぷか( ゚ ρ ゚ )ボーとして、

行き会ったところでコミュニケーションとって、

またぷかぷかどっかへ行く感じ。

ドラクエのスライムかもしれません。

 

ちなみに他の死の体験として、

父方の祖父の葬儀で、ご遺体の隣の部屋で寝たり。

祖父やおじさんの死を目の当たりにしたり、

流産を目の前で体験したりですかね。

これでもバツイチなんです(`・∀・´)エッヘン!!

 

あとは、昔なら道路で色々な動物の死を見たりとかね。

 

現体験として一番大きかったのは、

聖闘士星矢の定番の、

頭から地面に直撃する感じになった時w

 

人の死とは、

TVを消した時のように、プツンと終わるのです。

ちなみにそれは瞬間的な死の場合で、

主に脳死の時です。

 

苦痛の許容を越えた時、

脳が自動シャットダウンするのかと。

PCやと今はないけど、

容量越えるとブルスクやブラックアウトするのと同じかと

 

病気とか疾患でのじわじわは死にゆくのは、

まだ未経験ですけどね。

それは書けないので残念ですが。

(実験、検証好きなのでこんな発想)

 

なので仮に怨霊となる場合は、

後者の場合で、瞬間的ではなく、

走馬灯など考える時間があるので発生するのかもしれません。

 

ついでに脳についてだけど、

祖母の認知症の症状を見る限り、

潜在意識と顕在意識が逆転して、

ある種の多重人格と言えるかもしれません。

 

なぜそうなるか?については、

死への恐怖を薄らげる説が一番優しい考えなような。

 

とはいえ、家族への負担は甚大ですけど。

 

なのでシングルを選ぶってのは、

現代では悪手になります。

親が元気にぽっくり逝こうと準備しない限りは。

 

死に様も自分で設計できるはずなんだけど、

そういう話は口にチャックなようで、

まだエンディングノートあるだけましかもしれんけど、

あってももめるのが遺産相続。

 

すぐに弁護士に相談するのを推奨するけれど、

みなさんお金かけたくないで

精神すり減って失う場合が多いようです。

 

と、話をそらし過ぎましたけど、

どうしたら死生観を感じられるか?については、

手頃なとこやと、短命な愛玩具を所有するです。

 

なぜペットではなく愛玩具と呼ぶか?については、

家族と思っている人には不快かもしれませんが、

未だに法律上はそうなっているからです。

 

誰も家族として認めるように行動しないのでね、

結局、誰かが人柱となり

人を集めて変革が起きる事を待っている状態ですので。

 

接し方も家族ってよりは愛玩具よりなのは、

コロナでさらに悪化したのが残念です。

 

駅で見かける愛護団体の募金も、

お金目当てな物なのと犬の扱い雑なので、

募金する気もおきませんし、

目的がそこどまりなのか┐(´∀`)┌ヤレヤレ、

そんな事よりクラファンやればいいのに。

 

そんな感じに個々の組織でバラバラに行動するのも問題なのよね、

結局、組織規模と先行者利益の競り合いという、

全てはお金に繋がるシステムなんですよね(´・ω・`)

 

生物の死から学べる事は多いのだけど、

すぐに新しい物買えばいいって人には、

死生観は身につかないよね。

消費社会に飼いならされてしまっているせいかもしれんけど。

 

あと、ペットを自分の都合の押し付けのように飼うくらいなら、

ぬいぐるみにとどめるのがいいと思います。

 

なんで愛する対象なのにペットホテルに泊めるの?

って事に疑問を持てないなら、持つのやめた方がいいです。

それは自分の子供として扱ったらどうなの?

ってのが、現代の子育ての現状とも言えるのよね。

 

なんでも外注に頼って、

その目的が自分の時間を持つ為で、

子供やペットが自分の時間泥棒と認識するのであれば、

救いようがないけどね( ゚ ρ ゚ )

 

現代は便利になったはずなのに、

人はどんどんクローズ化しております。

もっとオープンに人生を楽しむためにも、

 

人生の終着点に対して、

早い段階で決着をつけて、

自分を解放する事かかと。

 

他の手段として、

禅や瞑想ってのもあるけれど、

オススメするのは、原始的なアウトドアです。

生きるか死ぬかは自分の行動次第!ってね。

ナイフ一本でアウトドアとかねw

 

あとは息を止め続けて、ぎりぎりを味わうとかw

 

僕みたいに、死を直接感じるのは推奨しないけど、

たまに冗談で「いっぺん死んでみる?」とかは言うけどね、

普通ではなく、奇人、変人扱いされるので(*´∀`*)

 

あとは植物やそこらへんおる野生の生き物からとかもね、

なんで彼らはそういうサイクルで生きているのか?とか、

ナナフシは未だに不思議生物なのです。

ハリガネムシとかもね(*´∀`*)

 

存在意味ってのを、

自分を含めて考えたら、

道は開けるかもしれません。

 

なのでヴィーガンやベジタリアンになる気持ちもわかります。

といった感じに、

人生は実際経験しないとわからない事が多いのです。

 

失敗とわかっていても

試してみる愚者が私は好きでそんな性格です。

 

箕輪さんの

 死ぬこと以外かすり傷って考えでいいのだーー

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