便利な家電
|ω・`)ノ ヤァ、マックです。
家庭の効率化は、
今や当たり前にように行われております。
今までのんびり暮らせてた時代が懐かしいものです。
それだけ人は多くの物や事に時間を食われるようになったわけです。
先日、勝間勝代さんの動画で、
余命は日数で考えると無駄遣いできません。40年でも、日数にすると、14000日しかないんです。
こんな感じで、
人生を考えている人はいるんだろうか?
なんて、思うわけです。
生きているのが当たり前の時代になり、
死ぬなんてみじんも感じられない日本社会。
#死の隔離は平成らへん特にね
何度か死にかけないと、
真剣に死について考えたり討論する機会ないですからね。
#何度もしにかけた(・ω<) てへぺろ
僕の場合は、
何度か死にかけてるので、
小学1,2年の時に死について悩みまくった結果
いまこんな感じなので、
死に対して、あまり感情的にならなくなりました( ゚ ρ ゚ )
#他人からみたら冷たく見えるのよねー
死んだらさくっと処理しましょう!(* ̄0 ̄)/
ってな感じですね。
これにあるように、
お墓の中にいませんからね( ゚ ρ ゚ )
というわけで、本題です。
便利家電を使うと(効率化)
自分の時間を増やす事はできるんだけど、
個性を失うって話です。
個性を確立した上で、
わりきって効率化をするのはとてもいいんだけど、
何もない人が効率化を図ると、
ほんとに中身のない人が出来上がるので、
むしろそんな人こそ、アナログに家事する事をおすすめします。
人生の残りの時間で、
やりたい事、やらなければならないなら効率的に生きた方がいいです。
それ以外の人は、
泥臭い部分が足りていないのかもしれない。
とはいえ、なんで効率的が悪い!っていうかと。
例えば、食事の効率化、
ホットクックや家事代行、ミールキットや宅食を利用すると、
自分の家庭の味ってのが失われるわけです。
シンプリストで味付けは、
素材本来の味の為に、塩や醤油、油脂のみとかなら
別にいいとは思うけど。
料理になると話はべつなわけです。
昭和後期らへんから、
家庭の味に飢えるって現象があるのご存じでしょうか?
それは外食や総菜で埋められないピースでもあります。
人の心の隙間ができる原因のひとつとして、
家庭の味ってのがあるわけです。
過去に何度も言っているけれど、
自分の食事で自身が作り上げられているので、
それこそ、5W1Hじゃないけど、
なんでそれを食べる?
誰と?
どこで?
どうやって?
とか、掘り下げる機会がないんだけどね( ゚ ρ ゚ )
なので他人と飯食う時は、
どうしたらいいか?ってのも、
孤食の時代に考える機会を失っているわけです。
そのため、他人に対してどう接するとか?
どうやったら場を作れるとか、学機会が減っているわけです。
家庭内での学びってのは、
効率化によって消失しつつあるわけです。
なので学校や習い事先に躾を求めたりとね。
家庭である程度完結していたことが、
いまや外注になっているわけです
#家庭の存在意義とは?
洗濯や掃除に関しても、
自動でできるにも限界があるので、
まだ人の手が必要なんだけどね。
とはいえだ、
仮に全自動になった先に、
人はあまった時間で何をするのか?
ってのは、結局アナログ的なとこにいきつくわけです。
アニメや小説のように
精神ネットワークとかできない限りは、
動物であるために、動きたいわけです。
ってので、
趣味はデジタルとアナログでもっておくといいっすね(*´ω`*)
というわけで、
便利な家電や効率化で失う事は、
人間性なのかもしれません。